追悼・中谷一郎
追悼・中谷一郎 気取らない、飾らない。男は脇でもピリリと締める7.4[日]ー17[土]2004 ラピュタ阿佐ヶ谷

『独立愚連隊』1959年 『青い野獣』1960年 『水戸黄門』1978年
『顔役暁に死す』1961年 『男の顔は履歴書』1966年 『戦国野郎』1963年
『狐のくれた赤ん坊』1971年 『続網走番外地』1965年

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「其れで良いんだよ、曹長、」 ― 中谷一郎追悼文 ―

 案内してもらった、通夜の会場は、早すぎた為、まだ焼香の準備も出来ていなかった。しかし、対面 させてもらったミンクは、生き生きと血色が良く、まるで昼寝でもしていた途中を起こされた少年のようであった。

 其れで良いんだよ、曹長、

これが、映画『独立愚連隊』となると、「な、イキな曹長さんよ」とこうなるのだが、テレビ『水戸黄門』となると、「風車の弥七」となるのだそうだ。
 ミンクとの出会いは『独立愚連隊』の時だった。体もデカく、態度もデカく、生意気だった。ただ、その笑顔は少年のようでスタッフには愛されていた。そんな彼をイメージしながら書いた『独立愚連隊西へ』の時を思い出す、其れは、ラストシーンだった。

 アヒルの首に縄を結び、共に広い大地に消えて行く、画面いっぱいに、アヒルのゆれるお尻のアップから始まり、不敵な笑顔で、ヒョウヒョウと懸命に歩く一人と一匹が、地平線の彼方に消えて行く、とこんなイメージのコンテが、ロケ当日の嵐のような天候で実現できず、シブシブと引き上げたことがあった。

 ミンク、あの頃のロケ地御殿場は、果てしなく続く荒野で、自然が一杯だったな。

 斎場を出た。強い風と激しい雨が降っていた。さしかけて貰ったビニール傘が悲鳴をあげる。 「やらずの雨」とは、こう言う事であろうか?

2004.5.25 岡本喜八

〈プロフィール〉
本名、中村将昭。1930年10月15日、札幌市生まれ。早稲田大学文学部仏文科を中退して俳優座養成所四期生に。同期に仲代達矢、佐藤允、佐藤慶ら。55年に舞台『森は生きている』でデビュー。同年に俳優座ユニット作品『浮草日記』で銀幕にも登場。59年の岡本喜八監督『独立愚連隊』で注目を集め、以降『用心棒』『切腹』『日本のいちばん長い日』などで存在感のある脇役として活躍。特に岡本喜八監督作品では硬軟ともに幅広い役柄を与えられ、見事にその期待に応えた。テレビでは69年の『水戸黄門』スタート以来、30年以上“風車の弥七”役を演じ、お茶の間のファンに親しまれた。2004年4月1日逝去、享年73歳。


皆様には残された映画に故人を偲んでいただければ幸いです。 ―――ラピュタ阿佐ケ谷
『独立愚連隊』1959年 (c)東宝