点滅ソロ舞踏公演『耳なし芳一外伝(寺山修司「邪宗門」より)』/寺山修司演劇祭参加作品



【構成・演出・出演】点滅
【参考テキスト】寺山修司「邪宗門」

【舞台監督】小田史一
【舞台美術】門田晃
【音響・音楽協力】成田護
【音楽協力】舟沢虫雄・落合敏行
【証明】神山貞次郎
【衣装】竹内陽子
【題字・写経】稲川実加
【特殊造形】百武朋・並河学
【宣伝写真】米原敬太郎
【宣伝美術】matt's work
【製作】松好那名
【協力】野口和彦(青蛾館)・川村和枝・松本力

【日時(タイムテーブル)】
2013年
9月7日(土)14:00/19:00(開場は30分前)

【チケット】
予約/2,900円
当日/3,200円
ペアチケット・予約のみ/各2,700円

【予約・お問合わせ】
予約・問い合わせ 
ザムザ阿佐谷 03-5327-7640
または、090-8516-6005 (点滅制作・松好) mattswork.nana@pep.ne.jp
または、ダイレクト予約フォーム(こりっち)
 (PC)https://ticket.corich.jp/apply/46602/
 (携帯)http://ticket.corich.jp/apply/46602/
URL/temmetsu.com
ザムザ阿佐谷 03-5327-7640

コメント
寺山修司の「邪宗門」に登場する耳なし芳一。失った耳を探し求める旅の途中其の耳は今、何処で何を聞いているのだろうか。不完全な者が完全を目指し、喪失物を求め巡る此れは正しく純粋な浪漫である。そして「邪宗門」は革命の演劇であった。故に此れは、私ひとりの純粋な革命なのだ。平成二十五年初秋 点滅。


何処へ?点滅・・・(元天井桟敷・昭和精吾)
 点滅にコメントを依頼された頃、一瞬も一生も美しくと謳って新橋演舞場で「東をどり」が上演されていた。「をどり」と書かれたポスターがいい。もっとも観たいとも思わんが、シャイな男性と妖艶な女性が扇子などをかざして、日本舞踏のしきたりや伝統を継承しながら白足袋を履いて内股で踊るのかなと、勝手に想像した。天井桟敷に入団した頃、寺山さんに言われたことがあった。「昭和も俺みたいに言葉ではなく言語で喋れ」「はぁ、どう違います」「言語には思想がある」「はぁ」、これは今もって解せないでいる。前記の「をどり」を含め世界に如何ほどの踊りがあるのだろうか?腰を振るだけで首を廻すだけで右手を上げるだけで踊りにはなる。北砂小学校の校庭で開催される「盆踊りも」「阿波踊り」も「ねぶた祭り」も「風の盆」も踊りには違いない。「時代はサーカスの象にのって」を上演していた頃、若干白髪混じりで長髪を後ろに束ね着物姿の土方巽(たつみ)氏が観に来てくれたことがあった。同県人でラグビーの名門校秋田工業高出身と聞いたことがあるので親しみが沸き、寺山さんに紹介してもらった。「昭和、土方さんはこの狭い劇場が大海原と言えば直ぐに泳ぎ出す、泳いでもらおうか」「まぁまぁ、今日のところはこのまま小空間で」シャイな方だと思った。大野一雄氏には会ったことはないが、ギリヤーク尼ヶ崎氏とは電話で話したことがあり、喋り方からやはりシャイな方だと思った。さて点滅である。「邪宗門」で共演したことがあり、楽屋で話して柔和な笑顔で優しいトーンで喋る。舞踏家ってシャイでなければ駄目なのか?不思議さをもらった。「踊りです」と言えば言葉に聞こえるが「舞踏です」と言われると俺には言語に聞こえる。点滅の舞踏はまぎれもなく言語である。民俗の中にある人間の仕種に発想を求め独自な領域を切り開いた土方氏だが、限りない可能性を秘め点滅は何処へ向かうのか。その一挙手一投足をじっくりと観てみたい。期待に値する舞いを必ず昇華させるに違いない。

点滅さんへ(元天井桟敷・森崎偏陸)
1972年1月30日、渋谷公会堂に吹き荒れた「邪宗門」の嵐から、一人抜け出した耳なし芳一が、今蘇る!!この与野者とも思われぬ、美しい点滅さんの芳一に、会いに行きます。

【点滅プロフィール】
1933年、土方巽記念アスベスト館にて舞踏を始める。翌'94年寺山作品「毛皮のマリー」(パルコ劇場)にて舞台デビュー。'96年、自らの舞踏グループ「赤色彗星館」を結成。発表された本公演全七作品及び、ソロ三作品に作・演出・出演。またその間、継続作業として歩行者天国等に於ける実験的路上公演も敢行。2005年、「赤色彗星館」を封印。その後、ソロとして自らの舞踏作品を継続して発表する傍ら、演劇への客演、スチール・映像作品の被写体としても活躍・ドイツ・ロシア・韓国等の芸術フェスティバルへの参加など、国内外を問わず活動している。近年寺山作品への客演多数。活動名「点滅」は、寺山修司の言葉・“点滅して光なり”から採っている。

Last Update : 2013/08/14