「役に立つ山中貞雄」西山洋市トークatラピュタ阿佐ケ谷

特別付録 役に立つ黒澤明 〜『戦国群盗傳』について〜 西山洋市

☆特別付録は盛況につき急遽最終日にも開催した(同じ作品について2度トークを行った)ものです。
そのため、あらすじ及び作品データは第4話のものと共通となります。
また内容も第4話と一部重複があることをご了承下さい。

今日で山中特集も最後になりますね、1ヶ月くらいやってきまして、すでに4回ほどここでしゃべっているんですが、今日5回目です。もしかして先週の土曜日もここにいたという方いらっしゃいますか、いないですよね、いたらちょっと悪いんで別の話しようかと思ってますけども、『戦国群盗伝』の話をします。今日見ていただいた『戦国群盗伝』から山中貞雄の話、それから黒澤明の話もちょっとしたいと思いますけれども。

今日見ていただいたのは1959年に撮られたリメイク版ですね、もとの映画、山中貞雄が脚本を書いて、滝沢英輔さんが監督したもとの『戦国群盗伝』は1937年だったと思いますが、山中貞雄の映画でいうと『河内山宗俊』と『人情紙風船』の間に山中がシナリオを書いて、滝沢英輔が監督した作品ですね。ですからそれからニ十数年後にこれがリメイクされたわけですね。
もとの『戦国群盗伝』はPCLという、今日の東宝の前身の会社で撮られたものですね、その会社には黒澤明が助監督としておりまして、『戦国群盗伝』オリジナル版は黒澤明が助監督として、まだ若い20代ですよね、黒澤は山中貞雄の一つ歳下ですから、山中貞雄がたぶん27ぐらいのときに書いた本、だから黒澤明が26かやっぱり27ぐらいだったと思うんですけど、一つ違うといっても山中が11月生まれ、黒澤が3月生まれですから、そんなに違わないんですね。もしかしたら同じ学年だったかもしれない、くらいの差しかないんですね、実は二人は。山中はもう23で映画監督になって29で亡くなってしまいましたが、黒澤が監督になったのがだいぶ遅かったんで、なにか黒澤がだいぶ下のように僕も思っていたんですけど、実はそれしか歳が違わないんですね。
その若い黒澤明が助監督として山中貞雄がシナリオを書いたオリジナル『戦国群盗伝』の撮影現場にいたわけなんですけど、今日の映画でもさかんに出てきました、富士山のふもと、御殿場ですね、後に黒澤明があそこらへんをよく使って戦国時代を舞台にした映画をたくさん撮ることになるわけですね、戦後に、『七人の侍』であるとか『蜘蛛巣城』とかという戦国時代を舞台にした映画ですけれども。
助監督だった黒澤明がその現場で、あの馬の群れであるとか、鎧をつけた武者たち、それから山賊の群れですね、ああいったものを間近に見てひどく感銘を受けたというふうに黒澤明自身が回想しているんですけれども、まるで自分が中世のあの時代に紛れ込んでしまったかのような感動を覚えたといったことを言っております、でその感動がもとになって、後々『七人の侍』とか『蜘蛛巣城』につながっているんだといったことを、ご本人が言っているんで、これは間違いないんですけれども。
「鎧物」と当時はいわれていたらしいんですね、こういうジャンルの時代劇を。それまで山中貞雄が撮っていた時代劇は江戸時代の庶民の生活を主に描いた時代劇でしたけれども、当時はこういう戦国時代を描いた映画自体が珍しかったらしいんですね、ないことはなかったんですけども、珍しかったといわれております。で山中自体はそういう「鎧物」を監督したくないと言っております。それから監督することに興味がない、なぜならこれだけのものを作る体力が自分にはないからというような言い方をしているんですけれども、山中貞雄の監督作品を見ればわかるように、こういうスケールの大きな舞台であるとか、人や馬がたくさん出てくるような派手な舞台装置とは違った、わりとこじんまりとした世界で身近な人たちを描くという世界が多いんですけど、そこからかけ離れているんですね、山中貞雄からすると。山中貞雄が自分にはそれを演出する体力がないと言っているのもわかるんですけれども、それはたぶん冗談ではなくて本気だと思います。これだけの物、あれだけ馬を用意して人員を用意して、いろいろな小道具であるとか衣装とか用意する、それ用意するだけでもえらいエネルギーがかかるわけですね、なおかつそれを演出する、あんまり馬は人間のように言うことを聞いてくれないでしょうし、あれだけ人数がいて合戦のシーンなどがあると、それをコントロールして絵にしていく作業というのはえらく手間隙かかるんですね、体力がいる仕事なんだと思います。黒沢明にはその体力があったんですね。山中とはちょっと、体格も違うし、何というんですかね精神性もちょっと違うと思うんですけど、そういう世界はおそらく黒澤明には向いていたんでしょうね。
このリメイク版が1959年ですから、この時点でもう黒澤明が49歳になってますね、山中貞雄が生きていれば50歳という歳なんですけれども、その前にすでに黒澤明はもちろん『七人の侍』も撮ってますし、それから『蜘蛛巣城』も撮ってます。今日の映画見て、黒澤映画をたぶんご覧なっていると思うんですけれども、やはり『蜘蛛巣城』を思い出しますよね、戦国時代を舞台にしているということとは別に、あの『蜘蛛巣城』で描かれた人物、三船敏郎の武将と山田五十鈴が演じた奥さんのコンビ、悪のコンビですよね。下克上といいますかね、自分が権力を握るために犯罪を犯していくあの夫婦のあり方、今日の映画で描かれた次郎、鶴田浩二の太郎というお兄さんがいて、その弟の次郎ですね、平田昭彦が演じています、あの上昇志向が強い、お兄さんの恋人さえ奪おうとしている弟とそれからあの家臣、河津清三郎が演じた悪知恵を働かすあの家臣のコンビ、あのあり方は後に黒澤明が『蜘蛛巣城』で描いたあの武将と奥さんのコンビに非常に似ていますよね。
それは黒澤がこの『戦国群盗伝』をそう書き換えたわけではなくて、もともとこうだったんですね。黒澤明あのクレジットで潤色というふうに入っておりましたけれども、脚色ではなく潤色なんですよね。潤色というのは内容を大きく書き換えたということではなくて、整えたという程度だと思います。それに時代に合わせて若干書き換える必要があったと思うんですけど、なにしろ戦争を挟んで20年経っているんで、ある程度は書き直す必要があったでしょうけど、それにしてもほとんど書き換えられたというほど書き換えられてないんですね。オリジナル版を見た方がいらっしゃればわかると思うんですけども、ストーリーはほぼこのままです、構成もこのまま、それから人物配置もほぼこのままですね。
黒澤明が何を変えたかというと一番決定的なのは、あの弟が父親を殺す場面ですね、これがオリジナル版にはなかった、それが黒澤明がつけ加えた一番大きな違いです。オリジナル版にはなかったというのは、弟が直接お父さんに手を下して、崖から突き落として殺すというふうな描写にはなっていなかったということです。お父さんは殺されるんですけれども、部下がやってますね、しかもその部下は今日の映画でいうと河津清三郎が演じたあの悪い家臣の指令で動いてお父さんを殺した、弟は後から聞かされてびっくりするというふうに確かオリジナル版ではなってました。それを黒澤明はあの弟が直接手を下してお父さんを殺すというふうに書き換えてます。これが一番大きな違いだと思います。これは黒澤明が本能的にそういう強いドラマとして描いたんだと思うんですけれども、逆にいうと山中貞雄が直接そのようには描けなかったということだと思います。
『河内山宗俊』と『人情紙風船』の中間に、これを山中貞雄が書いているんですけれども、その頃『百万両の壺』にしろそれから『河内山宗俊』にしろ若者の成長譚を山中貞雄は描いているんですが、今回の『戦国群盗伝』のリメイク版のように直接父親と葛藤してなおかつ殺すというドラマはでてこないんですね。父親的な存在との葛藤は常に描かれているんですけれども、それはあくまで象徴的な、たとえばやくざの親分であったりとかですね、そういったものとの葛藤は描かれておりますが、なおかつ親分を象徴的な父親として殺すというふうに読めるようなシーンを描いてはいるんですけれども、直接自分の父親、血のつながった父親と葛藤して殺すというようなところまでは山中は描いていなかった、というか若干ためらっていたようなところがありますね。『戦国群盗伝』オリジナル版を見て、それから今日のリメイク版を見てはっきりわかるのは、山中はそういった描写をためらっていたんだということですね。これは本来物語の構造としても、ある種娯楽映画のあり方としても、より強い葛藤をドラマとして描くためにはやっぱり弟が直接手を下すシーンが必要だと思います。僕も作り手の一人としてそう思うんですが、山中はそれを避けていたんですね。なぜかはわかりません、はっきり山中がそのことに関して言い残しているわけではいないのでわかりませんが、作り手としての勘でいうと、山中貞雄はそういったものを、まだ27の若者ですから、ある人間の悪を描くという、悪を描くための覚悟なり、それから映画としての表現の方法なりを模索してはいたんだろうけど見つけらずにいたんだろうと思います。
その後に作られた山中の遺作になった『人情紙風船』でも、父親的なものとの葛藤というのは常に描かれているんですが、逆に二人の登場人物、主人公は殺されてしまうんですね。その父親的な存在、ないしは父親的な存在に頼っていることを知っている奥さんに殺されるという形で、なしくずしに死んでいくというところまでは山中は描いていたんですけれども。
おそらくこの先山中が何かを作ったとしたら確実に、ドラマとしてはその先のもうちょっと強い葛藤を描くところにいくだろうと思われます。それは端的にいうと直接父親を殺すというようなものに近い何かが山中によって描かれたんだろうなと想像されますね。それを黒澤明はおそらく自分が監督になって、『蜘蛛巣城』それからもう一つ重要なのが『野良犬』のような映画を撮る過程でもって、黒澤明自身もある悪を描くということを作家として積み重ねてきた、その結果として『戦国群盗伝』のリメイク版にあたっては、そういう、ある若者が父親を殺して成り上がっていく、なおかつ兄貴の嫁さん、いや婚約者ですね、奪い取ろうとするという悪を描こうとしたんだと思われます。

それから娯楽映画として見ると、断トツで三船敏郎が面白いですよね。人物の図式としては太郎と次郎、これがおそらく善と悪、『野良犬』のあの刑事と、『野良犬』ご覧になった方はたぶん思い出したと思うんですが、二人の人物、刑事と犯人、拳銃を奪われた刑事と拳銃を奪った犯人が出てきますね。これはまあ昔からいわれておりますけど、同じ人間の二つの側面であるというような、分析がなされておりますけれども、それと全く同じようなことがこの『戦国群盗伝』のあの兄弟にもいえるわけで、太郎と次郎、あの兄弟、図式的にいえば太郎が善、それから次郎が悪ということになりますが、そこに付き添っている人物、太郎の方に付き添っているのが、相棒になるのが三船敏郎ですね。次郎の方が河津清三郎が演じた山名という武将ですけれども、この二つのコンビ、対称で描かれているわけですね。河津清三郎の悪の魅力も十分魅力的だったんですけれども、三船敏郎のあのあり方が非常に面白かったですね、僕は。
三船敏郎の芝居というのがやっぱり独特なんですね、ほかの何かに似ていないというか、三船敏郎の芝居といいますか、似ているとしたら人間の芝居ではなくてむしろアニメに似ているんじゃないかと思ったんですけれども、顔つきであるとか、表情の作り方、それから動きですね、特に目の動かし方なんかそうなんですけど、独特の表現力を持ってますよね、三船敏郎、役者として持ってると思います。
であのキャラクター自体が、これもほぼ山中が書いたキャラクターそのままをやっているにもかかわらず、まるで三船のために書かれた役であるかのようにしてしまっている凄さがありますね。かなりいい加減なんだけども、ユーモラスで憎めないところがありますよね、それから強いは強いんですよね。あの要塞が攻められたとき、敵に囲まれてね、逃げ出す瞬間、鉄砲で撃たれるんだけどヒョイとよけましたね、足元に飛んできた弾も跳ね上がってよけるという、奇跡のようなことやってるんですが、ほぼ納得してしまうんですね、この人ならできると。
それはさっきアニメに三船の芝居が似ているといったんですけど、まあ声もそうなんですが、ああいう何ていうんですかね、いわゆるナチュラルな芝居とはちょっと違う、リアリズムともちょっと違う、フィクション度の高い芝居をキャラクターとして成立させてなおかつ客を納得させてしまうというところが、たとえば宮崎駿の登場人物なんかそうなんですけれども。少年が少女を抱えて追い詰められて塔の上でね、数十メートルある塔の上から行き場に困って飛び降りるんですよね、普通死ぬんですが、パラシュートなしで飛び降りましたから、しかも少女抱えてるんですけれども、着地するんですよ、で痺れてしばらく歩けないんですけれども。そういったものをふと思い出すようなものがありますね、三船の芝居には。ある種のデフォルメがあって、リアリズムを前提にしているんだけども、過剰にそれをデフォルメしていくことによって、ありえないことをありえるようにさせてしまうという力技の芝居ですよね。ほとんどギャグの領域です。
三船敏郎は、これが1959年なんですが、この後に、まあ『悪い奴ほどよく眠る』とかありますけれども、その後『用心棒』やるんですよね、『用心棒』」と『椿三十郎』をやる。『用心棒』なんかは劇画に物凄く影響を与えたといわれてますよね。確かにそうだと思われるのは、やはり三船の芝居、それからあの顔、動き、そういったものが作り出す強力なキャラクターの力がフィクションを成立させていて、やっぱりこれはギャグの領域ですね。劇画に影響を与えたのはそういう人間離れしたところなのかなと思います。リアルな芝居をしているだけでは作り出せないような世界観を立ち上げることができる、ロシアのドストエフスキーの世界も日本で成立させてしまうような芝居は、概念としてはギャグなんじゃないでしょうか。でなければそんなことできないですよね。
それから太郎の一党が最後にお城の中に乗り込んでいったときに三船が会ったこともない河津清三郎とばったり出くわして、その瞬間に直感的にわかるんでしょうね、「あっ、こいつだ」ってのが、自分の敵は。そう描かれてましたよね。あれが面白いですよね。初めて会ったんだけど、あっ、こいつが黒幕だとわかる、で物凄い顔して決闘する。娯楽映画の鉄則なんですが、三船のようなスターと敵役の決闘シーンをちゃんと用意するというのが、黒澤のやっぱりエンターテイナーとしてのつぼを外さないところだと思うんですけど、オリジナルはこうなってませんでしたね。オリジナルは太郎と山名を闘わせていました、それを三船と河津清三郎を1対1で対決させるというふうに持っていってるところが、黒澤のこの映画の役柄に対する読みの山中と若干違うところなんでしょうね。
あの河津清三郎、あの山名という悪い家臣にも、オリジナル版には理由があったんですね、彼がああする理由が。それは何かというと実は上杉家と通じていて、上杉家のために土岐家を乗っ取ろうとしていて、そのためにこのような悪いことをしていたんだというような理由付けがなされておりました。それをやっぱり黒澤は取っ払いましたね、個人の欲望で動いているんだというふうに、はっきり個人の悪を描くんだと、人間の悪を描くんだというふうに割り切ってました、黒澤の改変は。その辺がまたちょっと山中とも違うところなんですね、山中はそういうところまでいくためにはやはりもうちょっとだけ時間がかかったのかもしれません。
そういく可能性があるとわかるのは、山中がそういったものに対する発言を残しているからかろうじてわかるんですけれども。たとえば、鶴屋南北の「東海道四谷怪談」に非常に感情移入しているんですね、登場人物に。映画なんかでよくやっているんでご覧になった方多いと思いますけれども、民谷伊右衛門ってのはかなり悪い人間ですよね、個人の欲望でもって残虐非道な行いをしていきますよね、それを山中は同感できるといってます、「今の僕らに同感できる」という言い方をしてます。たぶん山中は「東海道四谷怪談」を、そのようなものをおそらく描けたと思いますね。それは『人情紙風船』見てもすでにちょっとだけそういうところがあったんですが、原作にはなかった浪人者とその奥さんが貧乏暮らしをしている、内職に紙風船なんか作りながら。あの風情はもう完全に「四谷怪談」の伊右衛門とお岩さんの生活そのままなんですよね。『人情紙風船』のような怪談とは程遠い話の中でも、すでにあの二人には妖気が漂ってましたよね。長十郎もかなりやばい人間だったんですが、奥さん、山岸しづ江さんが演じた奥さんはもうすでに半ば幽霊であるような妖気を漂わせてましたよね。
あれはやはり独特の才能だと思うんです、山中の、ああいう人間の暗さを描き出せるというのは。ですから山中自身がいっているように、もし「四谷怪談」を山中がやっていたとしたら、相当怖い、怪談の仕掛けとして怖いというよりも人間存在自体、人物自体が怖いような、映画ができあがっていたんじゃないかと思いますし、ぜひ見たいと思うんですが、死んでしまったんで、甥の加藤泰さんがその後撮りました。『怪談お岩の亡霊』という、これは若山富三郎でやってますけれども、またこれは山中のテイストとはちょっと違う、凶暴な感じの、まあ若山富三郎ですからね、人物になってますけれども、これは見ることができる映画ですのでぜひ機会があったらご覧になってください。
それからちょっとだけつけ加えると、山中は『戦国群盗伝』オリジナル版とほぼ同じ時期に『女殺油地獄』というのも書いているんです、人のために書いている、近松門左衛門の犯罪劇なんですけれども、今ちょうど歌舞伎座でやっておりますが、与平衛という不良青年の話ですね、かなり悪い不良青年の話です。それを山中は脚本だけ頼まれて書いているんですが、そのクライマックス、「女殺油地獄」という題名にもなっている、油屋の歳上の人妻に金を借りに行って、金を借りるために誘惑して断れたら刺し殺すというような、クライマックスの残酷なシーンを山中は描きませんでした、回避しています。すでに行ったら死んでた、主人公はその殺しの犯人と間違われて逃げるという、意図がわからない改変をしているんですね、山中がなんでそんなことしたのかよくわかりませんけれども、そういう注文だったのかもしれませんし、あるいは当時としてはさっきいったような残虐なシーンというのが描けなかったのかもしれないんですけれども、倫理的な意味でね。ですが、明らかに悪を描くということからは後退してしまう描写がなされていたんですが、ただ山中自身がいってる言葉をみると十分にあの与平衛という青年の現代性はわかっているんで、もし別の機会があればああいった人物も、山中には十分描けたと思いますね。
で僕はこの間その舞台を見にいったんですが、クライマックスの有名な油だらけになっての殺し、ツルツル滑りながら殺しが行われるんですが、有名な場面なんで映画にもなっていますし、ご覧になった方いると思いますが、あれ見ててふと思い出したのが要するにやっぱり黒澤明なんですが、『酔いどれ天使』のクライマックスの殺し場、アパートの廊下で三船が襲われるシーンですね、あそこでペンキの缶が倒れて真っ白になってツルツル滑りながら殺し合いやるというのを、あれを思い出したんですけれども。黒澤はかなりそういったこと、ある残虐なもの、それをエンタテイメントとして見せる方法、アイデアというものにかなり敏感ですよね、もしかしたら黒澤は山中が脚本書いた『女殺し』見てるかもしれませんね、たぶん見てると思います、でかなり不満だったんでしょうね。

といういうわけで山中貞雄はそういった悪の感性を持ちつつそれを十分に描ききれるまで歳をとることなく死んでしまったんですが、こういう形で黒澤明に受け継がれる、あるいは今日はたまたま黒澤明の話をしましたけれども、明だけではなくて、たとえば黒沢清さんとかね、この間ちょっと『トウキョウソナタ』の話をしましたけど、その他いろいろ、イーストウッドにまで、確実につながっていますね。
なおかつ山中の映画にはまだいろいろな可能性が秘められていると思います。その可能性の話を4回、今日で5回にわたっていろいろしてみました。これから映画を撮りたいと思っていらっしゃる方に限らず、映画を見る方にも、そういったことが作り手の中では起こっているんだということをちょっとだけ知って、映画を新鮮な目で見ていただきたいなと思っております。

(2009年6月26日 ラピュタ阿佐ヶ谷にて)